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#創作同人電子書籍 紹介 「田口始短編集」


田口始短編集 赤の書 モノクロまんが119頁
田口始短編集 青の書 モノクロまんが119頁
田口始短編集 黄の書 モノクロまんが119頁



 「田口始短編集赤の書・青の書・黄の書」は、アメリカのインディーズコミック社「GEN MANGA」が出版していた短編まんが集「Ale」に、新たな短編まんがを追加し再編集した作品集である。

 「Alive」になかった作品、「わかれ」「Birth」が追加されているので「Alive」を既に持っていても楽しめる。

 主として男女のすれ違い、青春の日の過ちが描かれる。多くの作品において、大人に成ることが汚い、というのが大きなテーマとなっている。先生の別の作品「上京物語」では先生が少年と大人との間の期間を東京の日陰の部分で過ごされたことが描かれている。様々な大人たちの間で揉まれる間に見た人間の闇が本作にも影響を及ぼしているのだろう。



 「こうして僕らは汚れてゆく」(青の書)においては、拾った財布の金でストリップ小屋に入ろうか迷う男子高生が出てくる。彼らはセックスを夢のようなものと夢想している。ストリップ小屋の名前が「竜宮城」であることは象徴的である。だがその反面、それを実際に経験したら自分たちは汚れてしまうのではないかと恐れている。彼らは竜宮城へ行くのをやめ、そのお金でバットを買い、夜の校舎窓ガラス壊して回ろうと提案するが、結局はそれすらもせずに交番に届けることになる。青春とは、不発で終わった夢の澱、汚れた泥の塊のことかもしれない。



 母体回帰もまた本作品群の中で重要なテーマである。「ブラジルの穴」(赤の書)は、穴を掘る男の話である。恋人を奪われたという傷心から自殺を考える男はひたすらに穴を掘る。時期は夏休み、つまりお盆という、社会がその動きを止め、霊界と現世が繋がる一種時間の止まった期間に穴を掘り続けていた男は、その期間だけ死んでいたのである。最終頁を見れば明らかだが穴は女陰の象徴であり、穴掘りを終えて全裸で穴の外に出てきた男は、産道を通ってこの世に生まれ落ちた赤子のごとく、再び新しく生を受けるのだ。きっと彼はこの先も生きていくことだろう。

 母体回帰をテーマにしたものには他に「ぬるま湯」(青の書)「Birth」(黄の書)などがある。



 田舎の風景がいい。「赤飯」(黄の書)の、民家のひび割れた塀の間を抜けていく細路地のような、なんでもない通学路の絵はとてもいい。日暮れの中あぜ道を行くようなカットも白黒のコントラストが効いていていい。逆に、都会の風景はどこか生気がない。都会の部屋の中もただ生活だけに追われ、必要な物しか置いていない殺風景である。

 ただし「6畳エデン」(赤の書)の、ビルの屋上に設置されたホームレス手作り小屋は、床面にすのこが敷いてあり湿気がこもらない工夫がされているなど、無機質なアパートの一室よりずっと人間味がある。これは先生ご自身の実体験が反映されているのであろう。



 「69番街のマリー」(青の書)という作品は、同じ背景を19回繰り返すという実験作だ。マリーという年老いた場末の風俗嬢が身の上話を語るのを小説で言う「私」が口を挟まずただひたすら聞いているという作品である。

 「私」の視点で描かれるので「私」自身は描写されない。マリーは娘と息子のことを語るが、マリーが去った後飲み屋の他の客がいうには実はマリーはオカマだった、つまり娘や息子はいるはずがない、という落ちが付く。これは惜しい。「私」が物語に絡んでこないからである。マリーは実は生物学的には男であった、というオチの先にさらに実はマリーの娘と息子は血がつながっていないが養子であり実在はしていて、それが「私」であった、「私」はマリーと同じようにオカマになっていたのでマリーは自分の養子に気づかなかった、などのさらに深いオチが欲しかった。



 描かれた順番に赤の書、青の書、黄の書と並べられているとのことで、赤の書や青の書は現代劇であるが、黄の書になるとSFや不条理劇も描かれるようになる。



 「東京砂漠」(黄の書)は砂が降り続き東京が埋まっていくという不条理な状況を描いたSF作品である。主人公の男は、砂が降り積もり東京が少しずつ埋まっていくという破滅が眼の前に迫ってきているというのに、東京の片隅のアパートにいて砂で埋まる東京のニュースなど見てだらだらと過ごしている。破滅が目の前に迫っているのに何もしない、むしろ会社が砂で埋まって出勤しなくていいや、ぐらいに思っている。実際に破滅を眼の前にした人間は実際こういうものなのかも知れない、と思わせる。

 学校が地震で潰れればいい、会社に隕石が降ってくればいい、などとはよく言われることだが、砂が降り注ぎ緩慢に麻痺していく都市社会というのは彼の秘められた願望の顕れなのだ。東京が天から降り注ぐ砂で埋まっていくというシチュエーションは、時間を象徴する砂時計を思わせ、時々刻々と破滅が目の前に迫ってきているということを表現するのにマッチした優れたまんが表現である。



  「WALL」(黄の書)は、高い壁で囲まれた世界で若者が壁を登ってその先を確かめに行くというSF作品である。世界の果ての壁を登る若者が、かつて同じように壁に挑んで帰ってこなかった父が壁に打ち込んだアンカーに助けられるところがいい。ここでも母胎の暗喩が顕れている。壁に囲まれた世界は子宮であり、若者は壁に打ち込まれた綱というへその緒で子宮とつながっている。しかし彼が本当の男になるためには、臍の緒を切断して、あまりにも広く厳しい外の世界に旅立たねばならないのだ。

 ここでもまた「大人に成るということ」というテーマが表れる。しかしそこにもはや大人に成ることが汚いという不快感はない。
 壁の頂上から見下ろす向こうの世界に行くためには、オーバーハングした壁を下るという、壁の内側を登るよりも遥かに難易度の高い道行きが必要なのだが、彼なら必ず成功するだろうという希望に満ちている。



 「Birth」(黄の書)は「Alive」には収録されておらず新しく追加された作品である。空襲に遭う田舎町、愛し合う若い男エリクと女ティアナ。エリクはごく近いうちに戦争に行かなければいけず、恐らく帰ってくることはできない。ティアナはそれを察してエリクを求めるのだが……

 大江健三郎が少年だった頃熱病に襲われ朦朧とした意識の中で「あなたが死んでも私がまた生み直してあげる」と母が耳元でささやくのを聞いたという。戦争に行ったはずのエリクは敵襲を受け、産道を象徴する洞窟に逃げ込みその先で卵子と思しき殻を銃で打ち破り現世を脱出する。作者さまがあとがきで語るようにこれは受精の暗喩であり、実際は敵襲で戦死したであろうエリクは、出征の前の情事によって受精したティアナによって生み直され、戦争が終わった後、エリクと名付けられた赤子として再びティアナの腕の中に戻るのである。ティアナがエリクに求めていたのは、収入など生活の基盤でもなく、力による庇護でもなく、あるいは愛ですらなかったのかもしれない。ただ種が必要だったのか。それもまた愛なのだろうか……どこか恐ろしさを感じずにはいられなかった。



後書きによると先生の自己ベスト5は
1「ブラジルの穴」
2「Birth」
3「ON YOUR MARK!」
4「WALL」
5「ランブルフィッシュ」

 ということだが、自分が一番気に入ったのは「ダンデライオン」(黄の書)である。オッサンが若い娘を誘いドライブに出かけるのだが……

 オッサンがサングラスを外す演出がいい。「俺はタンポポの綿毛…風に吹かれるまま自由に飛び立つのさ…!」などどスカしたセリフを吐きグラサンで決めたちょいワルオヤジだった彼が、サングラスの下にあったものを晒すことにより、家庭持ちで奥さんの尻に敷かれている、情けない、日本全国に1000万人はいるであろう、なんでもないただのオッサンに戻ったのである。オッサンはこの後若い娘と恋に落ちるようなことはなく、すごすごと家に帰って奥さんに情けなく土下座するのであろう。ドライブする海辺の道の絵もいい。オッサンが若い娘に説教されているラストもいい。



 というわけで読み応えのある「田口始短編集赤の書・青の書・黄の書」は3冊セットで揃えるのがお勧めである。
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