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#コミティア123作品感想 4 「ニューテレポーテーション」

イラスト

ニューテレポーテーション 高橋由紀

 まんがで誰もいない背景のコマ(カラ舞台)があり、次に同じ背景の上にキャラが描かれたコマがあったらそれは「テレポーテーションでキャラクターがその舞台に出現した」ということを示す。現実的に考えて人間が瞬間移動することはありえない。映画でも同じことはできるが、それは役者が歩いて移動してそこに立った過程を撮影を一旦止めることで飛ばしているのである。

 しかしまんがでは、キャラがいきなり登場したならばそれはまぎれもなくテレポーテーションである。基底現実の常識を超えた超常的現象にまんが読者が疑問を持つことはない。だってそれがまんがの常識なのだから。

 本作はテレポーテーションをはじめとした超能力を描いた短編まんが作品集である。とはいっても超能力を持ったヒーローが地球を救う話ではない。そこにはストーリーはなく、ただ超能力だけがある。

 「いつかのテレポーテーション」では、見開きの右ページは白紙で1ページ1コマの大ゴマを使い、ページをめくるごとに街中の背景→街中をジョギングする女性、南の島のビーチ→ビーチを水着でジョギングする女性、というような流れが繰り返される。読者はこれを「女性がテレポーテーションして街中や南の島のビーチに出現した(しかも舞台に合った衣装で)」と解釈する。だが、そう解釈する根拠は実はどこにもない。コマとコマの間に、コマに描かれていない舞台の袖から水着の女性が走ってきてただフレームインしただけかもしれない。しかしまんがは連続体ではなく離散的である。コマとコマの間には間白という茫漠があるのみで女性がどうフレームインしたかは描かれていない。映画はカメラを止めている間も舞台も役者も当然ながらこの世界のどこかに存在していたのだが、まんがのコマとコマの間はまんがの中に文字通り存在しない。その空白は読者が想像で補うしかないのである。その結果読者は、現実的に可能で自然な「走ってフレームイン」よりも、現実的には無理があり不自然な「テレポーテーション」をこのまんがから読み取ることになる。そちらのほうがまんが世界の中では自然なのである。ここにまんがの俗悪さと強力な創造性が見出される。

 「サマー&テレポーテーション」の、絵の中に入れる超能力は素敵だ。永井博先生のイラストレーションを見たときのようなすっきりした味わいがある。「予知夢」 の、今の自分が、今の自分を見ている未来の自分に気づくという表現はおもしろい。「空中散歩」の、ディティールの廃された都市空間を浮遊するような感覚が心地いい。

 最後から二番目の作品、「彼とテレパシー」ではテレパシーで意思疎通できる犬と飼い主が登場する。「サマー&テレポーテーション」を除く他の作品は主人公が単独で現れ言葉もほとんど発しないのだが、この短編だけは最低限のセリフで犬と飼い主がテレパシー会話をする。そこにあるのは異種とのコミュニケーションが成立した喜びである。他の短編が超能力をまんがで表現するという実験的な性質を持つのに比べ、この短編だけはキャラクター達の明確な心の動きがある。これがいわゆるまんがの快感である。この短編が最後付近に配置されていることが、この作品集の読了感をさわやかなものとしている。
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